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徒然ならぬ佐賀紀行49 ~蛇足編 戦国時代の佐賀は女傑が多い!? その1 強かパワフル常識ハズレな母! 慶誾尼~

どうも!やまびこです♪

\(^o^)/

 

今日は、『蛇足編』!!!

佐賀について調べていたら見つけてしまった歴史ネタを紹介します♪

 

その第1回目で紹介するのは『慶誾尼』(けいぎんに)!!!

小さかった竜造寺家を九州三強の戦国大名へと成長させ、

肥前の熊』と呼ばれた戦国大名龍造寺隆信』の実母!!

 

そして、佐賀鍋島藩藩祖『鍋島直茂』の継母でもあります!!

 

 

この方がやった、とんでもないことは、

後の龍造寺家・鍋島家に大きな影響を与え、

龍造寺家が戦国大名となる道は、彼女の選択によって作られました!

 

1.最初の夫が亡くなったあと、家臣の『鍋島直茂』の父の後妻となる!

『慶誾尼』は、36歳のときに夫が騙し討ちで殺されています。

 普通、大名の妻は、夫が亡くなると尼さんとなってお寺に入ります。

 

しかしこの方!

何をやったかというと、

それから11年後の47歳のときに

家臣である『鍋島清房』(鍋島直茂の実父)の後妻となっているんです!!

 

その息子である『鍋島直茂』18歳!

彼が優秀であり、ぜひとも息子である『龍造寺隆信』と縁続きにしたかったというのが通説です!

 

その御蔭で、義理の兄弟となった『龍造寺隆信』と『鍋島直茂』。

この二人の信頼関係が強化されたことで、龍造寺家は戦国大名へ成長して行きました!

 

まさに常識はずれ!!

とんでもないパワフルかあちゃんです!!

 

2.龍造寺家のピンチの際、男衆を叱責して戦わせるようにした。

龍造寺家が成長していくに連れ、隣の大分あたりの大名『大友宗麟』は、龍造寺討伐を掲げて兵をあげました。

かの有名な『今山の戦い』の始まりです!!

 

大友軍 :6万~8万

龍造寺軍:5000

 

包囲され、龍造寺家の男衆は、降伏か・籠城かという敗戦ムード!

唯一『鍋島直茂』だけが奇襲攻撃を提案する状況ですが、

主君『龍造寺隆信』はそれを許可しません。

 

そんなときにやってきたのが慶誾尼!!

「猫に睨まれたネズミみたいに縮こまってないで、奇襲攻撃をしろ!」と叱責して、

奇襲攻撃をする方針が決まりました!

 

その結果行った奇襲攻撃が成功し、敵の総大将を討ち取る大戦果!!

龍造寺家が勝利することとなります。

奇襲攻撃を行ったのは『鍋島直茂』!!

この奇襲攻撃の成功により『鍋島直茂』は現在でも非常に人気があります!!

 

あくまでも私の私見ですが・・・

鍋島直茂』も敗戦ムードだったのではないかと思っています♪

男って、結構臆病ですからねぇ~♪

 

その理由は、鍋島直茂の後の功績によります♪

鍋島直茂』の功績をみていくと、計算高く、抜目がない印象を受けます!

1%の可能性にかけて突撃する勇猛な将ではない感じ。

後の歴史書を作ったのが鍋島家なので、おそらくはこのとき、

 

奇襲攻撃を提案したのが慶誾尼

その奇襲攻撃を現実的なプランへ落とし込んだのが鍋島直茂

なのだと、勝手に思っています♪

 

そして、

慶誾尼は92歳まで生き、龍造寺家・鍋島家に大きな影響を与え続けました!

人生50年の時代の92歳は、今で言うと160歳近い年齢!!

ホントに、とんでもない人だよ!!

(σ≧∀≦)σ★*☆