どうも!やまびこです♪
今日は、僕が最も好きなサッカー選手、「キングカズ」こと三浦知良選手について書きます♪
1.僕が最も好きなサッカー選手「キングカズ」
「好きなサッカー選手は誰ですか?」
ときどき、友人からそういった質問が来るときがあります。
そのとき、僕が決まって答える選手がいます。
「キングカズ」こと三浦知良選手です。
実は僕は、小学生のころから三浦選手の大ファンです。
三浦選手が大好きだった影響で、小学校3年~4年の間、近くのサッカークラブに所属するほど、僕はサッカーが大好きでした。
その後、あまり運動が得意ではなかったため、僕の中のサッカー熱は抑え気味となってしまうのですが、「三浦選手が好きである」という意識は残り続けました。
未だに現役でプレイヤーをしている三浦知良選手。
彼の好きな点を、今日は余すことなく語っていきます。
2.日本サッカーの黎明期
三浦選手は、日本のサッカー界を黎明期から支えてきた選手です。
1991年のJリーグが発足した当時、三浦選手はブラジルでプロサッカー選手となっていたところから日本へ帰国しました。
そして、鹿島アントラーズのジーコ選手や、同じヴェルディ川崎に所属していたラモス瑠偉選手といった有名な選手と共に、日本のサッカーを盛り上げました。
しかし、当時に日本サッカーは、まさしく黎明期。サッカーをする子供の人口も少なく、世界的に見て日本のサッカーはあまり強くありませんでした。
そのため、現在では度々出場しているワールドカップに出ることなど、夢のまた夢。
三浦選手は、日本代表としてワールドカップの本戦へ出場することを目標に動き出しました。
3.ドーハの悲劇
1993年のワールドカップ予選。日本代表がワールドカップ本戦への出場切符を手にするかどうか、といったところまで勝ち進めます。
しかし、そこで起きたのが、かの有名な「ドーハの悲劇」です。
「ドーハの悲劇」とは、日本対イラン戦、2-1で日本がリードしており、このまま勝てば予選1位通過でワールドカップ本戦に出場できるという瀬戸際で起きた悲劇のことです。
ロスタイムに入って1分、イランがゴールを決めて2-2となり、得失点差で日本は予選3位となりました。
ワールドカップ予選を通過するためには、予選で2位までに入る必要があります。
そのため、わずかあと1分といったところで、日本はワールドカップ本戦への出場切符を失ったのです。
4.フランスワールドカップ予選の悲劇
その4年後、日本代表は苦難を乗り越え、ついにワールドカップ本戦への切符を手にしました。三浦選手はそのとき30歳。予選では結果を残しつつも、怪我や不調などで苦戦していました。
しかし、すでに全盛期と比べるとやや力が落ちてきていた三浦選手。ここでワールドカップへ行かなければ、次の4年後にワールドカップへ行くことは非常に難しく、三浦選手にとってこの年のワールドカップが最後のチャンスと言える時期でした。
そして、運命のワールドカップ本戦に出場するメンバーの発表が行われました。
三浦選手は、落選。
日本サッカー界を引っ張り、日本代表をワールドカップ本戦へと導いた「キングカズ」は、ワールドカップ本戦の舞台に立つことなく帰国することとなりました。
正直に言って、三浦選手のファンである僕からすると、「この結末はあんまりだろう!」と思います。
しかし、全盛期からすると力が落ちつつあり、結果が芳しくなかった三浦選手を代表から外した監督さんも苦渋の決断だったと思います。
それでも、日本のサッカー界を率いて、日本をワールドカップ本戦へと導いた三浦選手の功績は変わりません。そしてその後、三浦選手は結果として、ワールドカップ本戦のフィールドへ立つことはありませんでした。
5.それでも現役を続行し続ける三浦選手の努力
そんな逆境を経験しても、三浦選手は現役を続行し、それから25年以上がたった今でも現役のサッカー選手です。
その現役を続行できている理由は、徹底した自身の体調管理とトレーニングの継続にあります。
サッカー選手としての体力の衰えは、人としてどうしようもないところがあります。
フォワードとしての突破力やスピードは、人である以上衰えるのです。
しかし、これまでフィールドで培った経験は蓄積されます。
ボールがこぼれおちる最良の位置へ、誰よりも一歩早く移動する。
それを実践することで、三浦選手はゴールを決めるようになります。
6.僕が最も好きな印象的な三浦選手のゴール
その中でも特に印象的な三浦選手のゴールがあります。
それは、2011年3がつ29日、三浦選手44歳のときに行われた日本代表vsJリーグチームの試合で三浦選手が決めたゴールです。
この試合は「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ」として行われた試合で、被災した東北を勇気づける試合という位置づけでした。
そのときの試合のハイライト動画が、こちらです。
このとき、三浦選手は素早くゴール前に走り込み、ワンタッチでゴールを決めています。
まさしく、一瞬!フォワードとしての感性によって決めたゴールです!
そして、この試合の三浦選手のゴールは多くの人に勇気を与えたゴールとなりました。
そのときのゴールについて、三浦選手は以下のように語っています。
これまでいろんなゴールを決めてきたけれど、こんなに喜ばれたのは記憶にない。「カズ、ありがとう」「言葉にできない」「ほんと、涙が出るよ」……。今まで体験したことのない、特別な感覚。こういう1点というものがあるんだなと、しみじみ思う。
(中略)
「今までで一番胸を打ったカズダンス」と知人は言ってくれた。最後に振り上げた人さし指が、震える指から発する思いのようなものが、いつもと少し違っていて、泣けてきたという。
Jリーグの歩み、日本代表の歴史、1998年ワールドカップ(W杯)に行けなかったこと。日本サッカーにまつわる歓喜も哀愁も背負ったまま、僕はサッカーをやっているのだろう。あの試合に注がれていたのは、見守る人々のそうした「思い入れ」。そして被災されて今なお苦しんでおられる方々の、何かを求め、欲する思い。それらに運ばれたゴールだった。大きな大きなゴールに、みなさんがしてくれたんだ。
これほど人を勇気づけるゴールを決めることができたのは、三浦選手が様々な経験をしながらサッカーを継続してきたからだと思います。
7.さいごに
今日は、「キングカズ」こと三浦知良選手について書きました。
日本サッカー界のレジェンド(伝説)でありヒーロー(英雄)。それが三浦選手です。
しかし僕は、「キングカズ」と呼ぶことが一番しっくりきます。
確かに、今でも十分にレジェンド(伝説)ですが、未だに現役を続行している三浦選手は伝説を作り続けているため、レジェンドと言うにはまだ早いと思います。
ヒーローと言ういい方もしっくりきません。
なぜならば、数多くの試合で日本サッカー界のヒーロー(英雄)は生まれ続けるからです。
しかし、キングはどうか?
まさしく、キング(王)と言う言葉こそ、三浦選手にふさわしい言葉だと思います。
僕は、三浦選手はチェスで言うところのキングそのものだと思うです。
チェスで言うところのキングは、常に盤上にあり、取られたら負けのコマです。
日本のサッカーという王国を作るためにサッカーのフィールド上を駆け抜け、監督やトレーナーといった指導者(チェスで言えば盤外の指し手)になることなく、常にサッカーのフィールド(チェスで言えば盤上)にあり続けた者。
今はもう、最強の選手(チェスで言えば駒)ではありません。
それでも、三浦選手がいなければ、今の日本サッカー界はなかったと言えます。
常にフィールド上で、「サッカー選手とはこうあるべきだ」という指針を示し続けている三浦選手は、未だに人を勇気づけ、可能性を見せ続けている選手だと思います。
これからも、常に現役を続行し、最高のプレイを見せ続けてほしいです。