やまびこアンテナ

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「芋掘り」の記憶から感じる、日本の豊かさと変化について

どうも!やまびこです♪

 

今日は、はてなブログ今週のお題「芋」について書きます♪

 

1.親戚から芋をたくさんもらった経験

僕の両親の親戚筋は、農家をやっている家がいくつもあります。

僕の父方の祖父の家は代々多くの土地を持つ農家で、母方の親戚筋も農家の家があります。

その農家の親戚筋から、僕の家は芋をもらうことが多くありました。

 

2.祖父の家で行った「里芋掘り」

まず、父方の祖父の家は、家庭菜園で里芋を作っています。

「家庭菜園」と書きましたが、一般家庭の人が思い浮かべるサイズの家庭菜園ではありません。

父方の祖父の家は広大な田畑を持つ土地持ちの農家なので、「家庭菜園」といえど10m✕10m程度の畑一つといったサイズです。

ただ、そこで作っている里芋はすべて自宅用で売りには出さないため、広くはあれど「家庭菜園」ではあります。

 

その家庭菜園で、僕は子供の頃から里芋掘りをやっていました。

祖父や叔父とともに畑に出て、鎌や小さなシャベルを持って、ザクザクと里芋を掘り出すのです。

当時の僕は子供だったので、かなり雑に里芋を掘り出していたように思います。

それでも、ザクザクと掘り出される里芋を見て、僕はとても楽しんでいました。

 

そして先日、久しぶりにその家庭菜園で里芋掘りをやりました。

昔、広大な畑だと思っていた場所は思いのほか小さく、叔父の里芋を掘り出すスピードの速さに驚愕!

畑は土は柔らかいため、子供でも楽しく遊べる「芋掘り」。

昔を思い出す懐かしい経験でした。

 

3.母方の親戚の家で行った「サツマイモ掘り」

実は、芋掘りは父方の祖父の家だけでやったわけではありません。

母方の親戚の家では、サツマイモ掘りをやったことがあります。

こちらのサツマイモ掘りは、小学生のころに何度か行っただけのため、かなり記憶が薄れています。

しかし、小学校低学年のころにがんばって大きな太いサツマイモを掘り出して、それを持ち帰ったことを覚えています。

 

そして、持ち帰ったサツマイモは、家では様々な料理になりました。

 

ふかし芋や大学芋、そして一番好きだったのは、りんごとサツマイモが一緒に茹でられたような甘いお菓子です。

今思うと、どうやって作っていたのか不明ですが、そのお菓子が僕の家でのサツマイモ料理の定番でした。

よくよく考えてみると、東京へ来てから同じようなお菓子を見たことがないので、僕の実家の秘伝のお菓子、と言えるのかもしれません。

 

4.親戚筋との関係の変化について

しかし、こうして芋に関する記憶を引っ張り出してきて感じたことは、昔よりも親戚つき合いが薄くなってきている、ということです。

例えば、僕の母方の祖母は7人兄弟、母方の祖父は9人兄弟でした。

父方の祖父母の兄弟の人数は覚えていませんが、それでも曾祖母が生きていた頃は、お盆や正月に集まる人の数は多く、どういう親戚であるのか分からないほど多くの人が訪れる家でした。

 

しかし今では、母方の祖父母の兄弟は多くが亡くなり、サツマイモ掘りをしていた家にいくことは、ほとんど無くなりました。

父方の祖父の家に集まっていた親戚も少なくなり、今ではお盆や正月に集まる親戚は僕の実家の面々だけとなっています。

 

時代の流れとはいえ、芋掘りを楽しめていた親戚筋との関係が薄くなっていくことは、少し残念に感じます。

 

5.芋掘りの記憶を振り返って思う「日本の豊かさ」

こうして、子供の頃の芋掘りの思い出を振り返って思うのですが、やはり日本は豊かな国だと感じます。

農家の親戚が、多くの野菜や芋をくれる環境というのは、それだけ豊かだからだと思います。

豊かな土壌と、そこから来る実り。

それが実現できる環境があることに、もっと感謝すべきだと感じます。

 

戦後、多くの田畑を持つことは「豊かさ」の象徴でした。

僕の父方の祖父は、まさにそんな時代を生きた方で、戦後代々受け継いだ広大な田んぼをGHQの政策で失うこととなり、非常に悔しい思い出をもっていました。

そのため、僕の叔父が数年前に田んぼを買い戻したとき、「うちの長男が田んぼを買ってくれた」と言って、祖父は泣いて喜んだのだといいます。

戦後を生き抜いた人たちにとって、「田畑を持つこと」は豊かさを手に入れることは、それだけ自分の豊かさへと繋がるものだったのだと思います。

 

6.さいごに

今日は、僕が子供の頃にやった里芋掘りやサツマイモ掘りのもいでについて書きました。

書いてみて感じたのは、日本の大地の豊かさです。

耕作面積が少ないとはいえど、四季があり、作物が育つ土壌がある日本は、とても恵まれた国だと思います。

また、戦後、何もないところから復興した日本の底力もすごいと感じます。

高度経済成長を経て、工業化が進むだけでなく、農家の収入も大きく変化したと思います。

そんな激動の時代があったからこそ、僕の実家は親戚と仲が良く、サツマイモや里芋、そして野菜などを貰いに行っていたのだと思います。

 

そして思うのは、今の豊かさにあぐらをかいていてはいけない、ということです。

今の日本の豊かさを作ったのは、僕の上の世代の方たちです。

僕自身、次代に良い日本を残すために、今まで以上に努力する必要があると感じました。