やまびこアンテナ

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【新社会人必見!】世の中で成功する人ための「責任の取り方」

どうも!やまびこです♪

 

今日は、『世の中で成功する人ための「責任の取り方」』というタイトルで書きます♪

 

今回は特に、新社会人の方に向けた内容にしています。

「責任の取り方」は、学生時代と社会人になってからでは大きく違います。

少し長くなりますが、そのことを知る切っ掛けとなれば幸いです。

 

1.大学時代に経験した苦難の研究の記憶

先日、友達と大学時代の話をしていた際、大学時代に行った研究についての話になりました。

今思うと、この大学での研究は僕に大切なことを教えてくれた出来事でした。

それは、「自由と責任はワンセットである」ということです。

僕は大学時代の研究によって、このことを大きな苦難とともに痛感することになったのです。

 

2.自由な研究テーマに取り組める環境だった研究室

大学に入ってからの僕は、ITが世界を席巻する未来を予見し、情報処理を中心とした専攻をとりました。

当然、研究室も情報処理の研究室です。

僕が選んだ研究室の教授は、大学内ではとても有名な先生でした。

学生の教育に熱心な先生であるのと同時に、非常に厳しい先生だったのです。

 

その先生の研究室の方針は、「先生の研究を手伝って研究を行う」か、「自分で自由に研究テーマを選んで研究をするか」の、どちらかを選ぶというものでした。

自由な研究テーマというのは、情報処理を扱うのであればどんな研究をやっても良いというもので、かなり自由度の高い研究室だったと思います。

 

そんな中、僕が大学時代に行った研究は、「画像処理」でした。

 

2.「自由」に選択した研究テーマ

僕が研究室に所属していた当時、研究室内で「画像処理」を研究している人はいませんでした。さらに、ノウハウもなく、過去に「画像処理」の研究をした人もいない状況でした。

ただ、研究室内の道具を調べてみたところ、様々な面白い機械などが置いてあり、それを使った画像処理を研究してみたいと思ったのです。

「誰もやっていない研究」を、僕一人ですること。

それが「かっこいい」と、当時の僕は思っていました。

 

しかし、教授は常日頃から言っていました。

「私の研究を手伝ってくれるのであれば面倒を見ることができるが、自分で研究テーマを選んだ場合はすべて自分で責任を取ること」

 

教授にも自分の仕事があり、専門分野外の研究に対して口出しをすることができないのは当然です。、

当たり前のことだと感じてすんなりと受け入れた僕でしたが、その後僕は「責任」という言葉の重みを3年間に渡って痛感し続けることになるのです。

 

3.「自由」に選択をした結果味わった苦難

教授の言葉を聞いていたにも関わらず、僕は研究テーマを「画像処理」に決めました。

教授もこれを受け入れ、僕の研究はスタートしました。

 

しかしここで、僕の調査不足が大きく影響してくることになります。

完全に自分がゼロから始めた画像処理の研究ですが、当然ながら既存の研究を比べると圧倒的なまでにレベルが低く、より先進的な研究が多数あったのです。

 

それもある意味当然です。

その他の研究が大幅な下積みの上で行われているのに対して、僕は未熟な僕が数ヶ月積み重ねただけの研究が勝てるはずもありません。

ノウハウがなく、積み重ねられている年月が違いすぎるのです。

 

さらに僕には、頼るべき人はいませんでした。

教授は相談には乗ってくれますが、画像処理に関しては専門外。

並行して研究も進めていたこともあり、気がついたときには今更研究テーマを切り替えることもできないという状況になっていました。

 

僕は、自由にやった結果、全く意味のない研究に時間を使うことになってしまったのです。

 

4.「車輪の再発明」をしてはならない

僕がやったことは、技術者の世界では皮肉を込めて「車輪の再発明」と言います。

この言葉は、「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を再び一から作ること」を指すための慣用句です。

そして、この「車輪の再発明」は、技術者としてもっともやってはいけないことの一つでもあります。

 

ja.wikipedia.org

 

僕は自分自身の判断で物事を行った結果、まさしく「車輪の再発明」をすることになったのです。

そして、その責任はすべて自分で取るしかありませんでした。

 

自分が自由にやった結果生じた問題は、自分で責任を取る必要がある。

そして、その際は決して誰も助けてはくれないのです。

 

5.責任を取って目標設定を達成をした人が成功を手にする

そしてもう一つ、僕が大学時代の研究を通じて気がついたことがあります。

それは、物事が上手くいっている方は、自分の選択の結果生じる責任を取っているという点です。

この場合の「責任を取る」とは、「自立して、自分が設定した目標設定を達成する」という意味です。

どんな状況でも目標設定を達成し、正しい意味での「責任を取る」ことを実践している人が、世の中では上手くいっているのです。

 

そのことに気づくきっかけとなったのは、僕の友人で経営者の向山雄治さんとの出会いです。

向山さんは、株式会社RNSという会社を創業された経営者で、セレクトショップやレンタルスペース、貸バーなど、多くの分野で成果を挙げられている方です。

 

その向山さんは、昔から自分で自分の選択の結果生じた責任を、「目標設定を達成する」ことで解決してきた方です。

その結果、高校時代は空手でインターハイ出場かつ九州大学への現役合格、大学時代は社交ダンスで全九州1位を獲得し、全国大会へ出場するという経歴を作られています。

 

また、会社の業績も右肩あがりで伸ばされているそうで、その結果HUMANSTORYやHISTORYといったメディアにも出演されています。

 

humanstory.jp

 

history-tv.jp

 

向山さんの経歴をお聞きすると、「自分が逃げてきた責任を、すべて自分で取っていたのであれば、もっと大きな結果を手にしていたに違いない」と感じます。

そして、向山さんは自分自身が経験してこられたことを、ブログとして公開し、経験をシェアされています。

その内容を読むと、非常に学びが多く、自分の普段の生活や仕事に活かせる要素が満載な内容となっています。

 

note.com

 

「責任を取る」ということは、「目標設定を達成する」ということ。

そして、それを実践し続けた人が大きな成功を手にするのが、この世界の真理なのだと思います。

 

7.さいごに

今日は、「自由と責任」がワンセットであることに気がついた僕の経験について語りました。

僕が「自由と責任」について学んだのは、大学時代に研究を行ったときでした。

僕にとっては本当に苦い経験で、経験している最中は地獄の苦しみを味わったと思っています。

 

しかし、その経験があったからこそ今の僕がいることも事実です。

そのことに気づくことができる自分を作り上げることができたので、今の自分に後悔は一切ありません。

大切なのは、それを知った上でどうするか、です。

気がついたのであれば、学び、改善する。

つまり、物事の責任を取り、結果を出していくことが大切です。

僕自身、これからは設定した目標を達成し続けて、より良い人生を作っていきます。